栃木県大田原市慰霊
宝寿院供養墓・佐良土戦死塔

 
 令和2年8月2日、役員にて栃木県大田原市片府田の宝寿院・佐良土戦死塔を訪問し慰霊を行ったことをご報告します。
 今回栃木方面で慰霊を行ったのは、恩光碑保存会では栃木方面でこれまで慰霊を行ったことがなかったことに加え、宝寿院にある供養墓が建立後百年を経て土台に歪みが出ていたため、平成30年5月に宝寿院明覚寺第三十世英昭住職により供養墓の修復を行っていただいたことを知り、早めに御礼の挨拶をしたかったためです。本来は会員の皆様にもお声がけするところですが、新型コロナウィルス拡散のおり、役員で代表して訪問させてもらいました。
 栃木県大田原市片府田の宝寿院は、会津から水戸へ移動する市川勢が宿泊し、その際に襲撃を受けて多数の戦死者を出したところです。また、佐良土にても戦闘があり市川勢に戦死者が出ています。諸生党の戦死者は路傍に捨て置かれてしまう時代状況の中、宝寿院には明治21年に地元の女性方により供養墓が、佐良土にも地元の方々が建てられた戦死塔が存在し、慰霊を続けていただいています。
 今回の慰霊には顧問の市村先生が同行してくださいました。先生には片府田・佐良土での市川勢の戦闘の様子を解説していただき、宝寿院では朝食の準備をしていた際に敵襲を受けて正確な人数は不明ですが多数の戦死者を出し、近くを流れる小川が血で赤く染まったと言い伝えられていたこと、佐良土では黒羽藩の攻撃を受けて3人の戦死者が出たことなどをお話いただきました。また、ご住職からは市村先生もご存じなかったお話を伺いました。ひとつには、市川勢が宿泊した頃の宝寿院本堂は現在の位置とは違い、山門に近い現在は池がある辺りであったこと、もうひとつは、本尊の不動明王像には市川勢が戦闘を行った際に外から銃撃を受けた弾痕が残っているということでした。本尊の向かって左下には銃弾の痕が見られます。貴重なお話を伺った後、供養墓に移動してご住職に読経していただき、参加者全員で焼香しました。宝寿院を後にして佐良土の戦死墓に移動し、また参加者全員で焼香して慰霊を行いました。
 新型コロナウィルス騒ぎの中での訪問であったため、密を避けての移動や、手の消毒などの対策の必要から、今回は会員の皆様へのお声がけは遠慮させていただきましたが、初めて慰霊をすることができ、地元の方々が現在も慰霊を行っていただいている状況を知ることができました。コロナ騒ぎが落ち着きましたら会員の皆様に諮り、改めて慰霊を行うことにしたいと考えております。
会長 大森信明
 
会長挨拶住職のお話不動明王像本尊の弾痕供養墓慰霊記念撮影佐良土戦死塔戦死塔焼香戦死塔慰霊記念撮影
<写真をクリックすると拡大します>(2020.8撮影)
宝寿院・佐良土戦死塔慰霊訪問資料
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