薄井友衛門
(うすい ともえもん)
照願寺山門照願寺本堂照願寺鐘楼復元梵鐘梵鐘銘文復元記念碑薄井家墓所薄井友衛門墓
照願寺(写真をクリックすると拡大します。2020.7撮影)
 薄井友衛門(六代目)は鷲子村(現 常陸大宮市鷲子)の郷士。紙問屋や砂金業で蓄えた先代からの資金を元に結城寅寿に取り入り、三千両といわれる大金を供与。二百五十石の郷士格式を与えられ、代官クラスの実力者となる。結城寅寿の失脚に及んで友衛門も郷士資格をはく奪され帰農するが、元治元年郷士に返り咲く。天狗党の乱の際は支配地域の猟師を鉄砲ぐるみ動員して有力な実行部隊を組織(薄井勢)。那珂湊の戦いや会津戦争では、第一線の実戦部隊であった。維新後、薄井一族は村を脱走。友衛門は静岡県に落ち延び、明治七年に没した。友衛門の娘は江戸商人に嫁ぎ、その子孫に、加東大介、長門裕之、津川正彦らがいる。
 なお、薄井家の墓所は友衛門宅の裏山にある。
  
薄井家菩提寺 照願寺(しょうがんじ) 茨城県常陸大宮市鷲子2236
  関連資料・サイト 諸生派郷士『薄井家』の動向 宮澤正純先生講演会資料より (PDF)
「東京で望郷の念を抱いて暮らす」常陽藝文 2006年12月号 特集/シリーズ・幕末から明治へ②戊辰戦争「水戸藩と近隣諸藩の動き」より抜粋 (PDF)
    「矢島せい子」茨城新聞社刊行 昭和52年発行 「茨城人のルーツ」より (PDF)
津川雅彦 〜華麗なる芸能一家 幕末の激動〜 「ファミリーヒストリー」 「TVでた蔵」サイトよ り(PDF)
  照願寺と薄井友右衛門 (顎鬚仙人残日録 2020.4.24)
    「近世の美和地方」『美和村史』美和村史編さん委員会 1993年3月より抜粋(PDF)
    「天狗諸生の争乱と大宮地方」 『大宮町史』大宮町史編さん委員会 1977年3月より抜粋(PDF)