ごあいさつ


 会長 大森信明

水戸殉難者恩光碑保存会は、幕末維新の時、水戸藩諸生党に所属して国事に奔走し、各地に殉難・散華した人々の慰霊法要を行い、先祖を供養することを目的として平成18年に設立された会です。活動を広く紹介するため、このHPを開設いたしました。

 恩光碑保存会は設立以後、祇園寺の恩光無辺の碑での慰霊の他、新潟県柏崎市灰爪の慰霊碑、福島県会津若松市白虎隊記念館前の慰霊碑、千葉県匝瑳市中台の慰霊碑など、諸生党が散華した各地で慰霊を行ってまいりました(活動経緯)。これら各地の慰霊碑は日頃、柏崎市灰爪集落町内会の皆様、会津史談会・白虎隊記念館の皆様、千葉県匝瑳市の皆様等、地元の皆様が供養してくださっております。恩光碑保存会は慰霊法要を行うと同時に、祖先を供養してくださっている地元の皆様と民間交流をしてまいりました。地元の皆様にはこの場を借りて、改めて感謝申し上げます。

 恩光碑保存会は史実を客観的に伝えることが使命であると考えております。これは諸生党に関する情報が非常に少なく、また有っても明治期の偏見が加わっていることが多いためです。そうなったのは諸生党の藩士が殆ど戦死したことに加え、政権交代により立場が逆転し、明治期犯罪者として扱われたことによります。佐幕であった諸生党は、新政府から朝敵とされ、残された遺族も士分を剥奪されました。一方尊攘派は、桜田門外の変の実行者も、政権交代後は英雄となり靖国神社に祀られました。諸生党は悪、尊攘派は善となり、その影響が今日まで続いているのです。しかしこれは政権交代で立場が変わったからであり、諸生党と尊攘派の違いは、外国の圧力による幕末の混乱期にどのように日本が進むかについての考え方の違いであって、日本の将来を考え、国事に奔走したことには変わりありません。考え方の違いが対立となり、戦い合ったことが残念でなりません。保存会は研修会や、講演会、会報知恩などを通じて、史実を客観的に伝える活動を行ってまいります。

 恩光碑保存会の活動の成果に、水戸市行政から、諸生党に関する史実を水戸市の歴史として平等に取り扱っていただけるようになったことがございます。水戸市は、尊攘派の事件である、桜田門外の変の井伊直弼の地元・彦根市とは親善都市、天狗党の乱で3百余名が死罪となった福井県敦賀市とは姉妹都市の関係を結び交流をしてきました。一方諸生党に関する案件については、明治期犯罪者扱いであったこともあり、永年対応していただけませんでした。これが、平成21年の水戸市議会での元水戸市議会議長 高橋丈夫議員(元恩光碑保存会顧問 平成31年逝去)の尽力により、水戸市より水戸藩諸生党に関する史実も水戸市の歴史として公平に取り扱うとの見解をいただきまして(平成21年 水戸市議会議事録)、それ以後は、水戸市も祇園寺での慰霊や、新潟県柏崎市灰爪、福島県会津若松市、千葉県匝瑳市との交流等に参加してくださるようになった次第です。 

 恩光碑保存会は、元々は水戸藩諸生党の藩士の子孫を中心に結成した会ですが、近年は子孫でない会員が増えています。保存会では本会の主旨に賛同してくださる方に広く参加していただき、共に歴史を学んで行きたいと考えております。当HPをご覧いただき水戸藩諸生党に関する歴史の一端をご理解いただければ幸いです。