恩光碑保存会の設立経緯をご紹介します(設立時の会長挨拶・会報知恩第1号より)。本会を理解する一助となりますので、ご参照願います。

 水戸市・祇園寺境内の水戸藩諸生派殉難者慰霊の「恩光無辺の碑」は昭和9年に、水戸人の一部の人々の反対にも拘らず、碑建立の大恩人の室田義文翁の大英断により建立されました。室田翁は、除幕式には決死の覚悟で臨席されたと言われております。
 昭和11年9月23日には、殉難志士・第一回慰霊祭が祇園寺境内の恩光無辺碑前において、荘厳裡に厳粛なる式典が挙行されました。当日、前宮内大臣・田中光顕閣下は令夫人を伴い、高井秘書を始め随員と共に式典に参列されたのです。尚、この日は、安藤・茨城県知事、中崎・水戸市長、岩崎・水戸警察署長も式典に参列されました。「水神社・広報より
 その後、長い間、戦中「水戸空襲」戦後の大混乱など時代の変遷によりこの慰霊祭は行われませんでした。
 平成15年2月、諸生派歴史研究・仰天会(注:仰天会は恩光保存会の設立により解散)より諸生派殉難者慰霊祭を中断したままでよいのか、このままでは、この恩光無辺の碑は無縁のものになってしまうのではないか、又、水戸藩幕末の史実が歴史の闇に消えてしまうのではないか、という危機感のもとに慰霊祭「祇園寺にて慰霊法要」を行うべきとの意見が持ち上がり、丁度、天狗党の乱後140年、建碑後70年の節目の年を期して、法要実行委員会を組織して、平成16年9月23日「水戸藩国難事件殉難者慰霊法要」を行いました。
 私どもは、前回の法要実行委員会を発展的に解散して、更に、慰霊祭を継続実施すべく、昭和9年・先人の結成した「水戸殉難志士恩光碑保存会」を再興し、改めて、慰霊の会として、「水戸殉難者恩光碑保存会」を設立して慰霊祭を行い先祖を供養して参ることに致しました。
 この水戸殉難者恩光碑保存会は、平成18年10月22日、祇園寺において、設立総会を開催して設立したのです。 又、この慰霊碑の建立の経緯については、金沢春友先生著書「水戸天狗党と久慈川舟運」に詳しく記載されていますが、一つだけ、東京での水戸史談会における心に残る室田義文翁のお話をご紹介し皆様のご理解を戴きたいと存じます。
次のとおりであります。
 「水戸人の一部の人からは、奸党と呼ばれ、勅許の賊とまで罵られ、今日まで容れられざる先輩のために、絶えて成さざりし仏事を営み、同時に合同記念碑を計画したのである。今にして予「室田翁」がこれを決行せずんば、何れの日かこの挙を敢えて成すものはあるまい」と言われ、室田翁の大英断によって、諸生派慰霊の「恩光無辺の碑」は祇園寺境内に立派に立っているのであります。
 室田翁は、天狗党の忠魂塔碑を建立し、続いて、諸生派の恩光無辺碑の建立に尽力されたのであります。翁の人物伝記については、史料により、皆様にお知らせする予定であります。「翁は天狗党出身の方です」
 今、平成の世において、私どもにできる事は、殉難者を偲び、室田翁の意を戴して、心を一つにして、水戸藩諸生派殉難者を慰霊供養することであります。そして、この供養行事により、水戸藩幕末維新の歴史の真実を歴史の闇に消される事無く後世に伝える事が肝要であり、現代に生きる私どもの使命ではなかろうかとさえ想うのであります。
 この史実を教訓として、平和を祈願し、本会が、末長く持続される事を念願して、本会の設立、本会報発行のご挨拶と致します。(大森信英・初代会長)




HOMEへ