市毛善八郎の碑
(2020.5撮影)
 市川勢は9月29日、小野の河岸から那珂川を渡ると、石塚(城里町)を経て飯富(水戸市)まで進む。そこで三隊に分かれ、水戸藩の警護が厳重な金澤坂を避けて那珂川沿いに城下を目指した。その那珂川沿いの高台の森のなかに隠れるように市毛善八郎の碑が建っていた。現在は水戸市老人福祉センター長者山荘(渡里町)の敷地に移されている。碑文は「市川三左衛門会津ノ戦終り国元へ引揚ケ家来市毛善八郎付随ス弟市毛熊五郎為記念建碑ス 當年八十三才」と記されている。
 (市村眞一『市川勢の軌跡』茨城新聞社 2008年)より
  
建碑場所 茨城県水戸市渡里町 水戸市老人福祉センター長者山荘敷地内
建碑年月
大正14年(1925)
建立者 市毛熊五郎
  関連資料・サイト 渡里町 市毛善八郎供養碑 戊辰掃苔録
    「諸生党の碑」 市川眞一「いはらき」新聞1989年(市毛善八郎記事部分抜粋)
    「諸生党の碑」 「いはらき」新聞 1989年記事(市村眞一当会顧問執筆)(PDF)
    「水戸市渡里町長者山荘諸生党碑について」 江幡 一 『茨城史林』 第21号 茨城地方史研究会 平成9年(1997)6月(PDF)
    Googleストリートビュー