水戸藩諸生党鎮魂碑 |
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<写真をクリックすると拡大します>(2018年 慰霊法要) |
冬坂峠を守備していた市川勢150人は、8月23日、新政府軍が城下に向かって進撃しているとの知らせを受けて会津城下に入った。城内には、ほかの市川勢200人余が埋門近くの三の丸に在って東北隅を守備していた。前藩主松平容保は、このうち高田彦助ら20人に西出丸を守らせた。このとき、会津城は精鋭の藩兵の多くが藩堺守備に就いていたため手薄となり、落城の危機にあった。救ったのは市川勢といわれている。押し寄せる敵を撃退、城を守り、藩に感謝されたことは存外知られていない。
会津城下の戦闘において会津藩と共に戦った諸生党は、家老大森弥三左衛門ら16人の戦死者を出した。 |
(市村眞一『市川勢の軌跡』茨城新聞社 2008年)より |
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水戸藩諸生党鎮魂碑 |
鶴ヶ城攻防戦に来援勇戦した水戸藩兵などの供養
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水戸藩諸生党、農兵隊の鎮魂碑建立の趣旨 |
戊辰戦争の明治元年(一八六八)八月二十三日雨の朝、土佐藩兵を主力とする西軍が
怒涛の如く鶴ヶ城追手門に迫った時、北越戦線から会津に戻っていた諸生党などが駆けつ
け危機を救った。その後城内各門の防禦と城外各地で会津藩と共に奮戦し感謝された。
時代の流れに逆って信念を貫ぬき、消え去った人達に光をあてたい。 |
仰天会 栗栖平造撰 |
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建碑場所 |
福島県会津若松市一箕町八幡弁天下(白虎隊記念館前) |
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建碑年月日・建碑者 |
平成12年(2000)5月28日 仰天会(*註)(代表 栗栖平造) |
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慰霊式 |
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平成22年(2010)10月 |
水戸藩国事殉難者慰霊法要を挙行する(本会主催) |
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平成26年(2014)4月 |
水戸藩国事殉難者慰霊法要を挙行する(本会主催) |
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平成30年(2018)5月 |
慰霊祭 水戸藩士殉難150年記念事業実行委員会 主宰 |
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令和4年(2022)7月 |
水戸藩諸生党鎮魂碑参拝 |
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関連資料・サイト |
会津若松 飯盛山周辺(白虎隊記念館) 史跡訪問の日々 2009.9.6 |
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水戸藩諸生党鎮魂碑 栃木、福島の戊辰戦争史跡 2016.7.24 |
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北越・会津戦争 イバイチの幕末の水戸 (8) H23.9.25作成 H24.7.25改訂 |
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Googleストリートビュー |
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*註 「仰天会」は水戸藩諸生党の研究会で、「恩光碑保存会」へ発展解消 |
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