戦死塔
戦死塔全景戦死塔近景戦死塔戦死塔建碑年月日
<写真をクリックすると拡大します>(2020.5撮影)
 片府田を敗走した市川勢は佐良土に出るが、黒羽藩兵が待ち受けていた。戦闘となり、数時間にわたり激戦を展開した。夕刻となり、市川勢が次第に優勢となった。市川勢は箒川を渡り始めるが、これを黒羽藩は追わなかった。箒川と那珂川が合流する辺りの小川のほとりの藪の中に小さな石碑がある。「戦死塔」「明治元年九月廿七日」と刻まれている。市川勢の戦死者を地元の方が弔ったといわれている。諸生党名簿によると、ここで戦死したのは先手同心頭芦沢祐七郎、徒士斉藤捨松、吟味役中川彦四郎の三人。
  (市村眞一『市川勢の軌跡』茨城新聞社 2008年)より
戦死供養塔
建碑場所 栃木県大田原市佐良土738附近
建碑年月日・建碑者 明治元年(1868)9月27日 地元の方々
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