水戸藩国事殉難者埋葬の地
(脱走塚)
脱走塚全景脱走塚近景戦死二十五人墓慰霊碑匝瑳市解説板
<写真をクリックすると拡大します>(2016.5撮影)
 明治元年(1868)10月4日夜、市川ら200人余は船で銚子港付近へ上陸した。この時、銚子の防衛にあたっていた高崎藩士の説得に応じた97人が降伏したが、市川ら113人は、10月6日午前10時頃、八日市場の福善寺に到着した。
 市川はここで一同に解散の意志を伝えたが、そのうち数十人は最期まで天狗党と戦う意志を示した。市川は八日市場の町を戦火に巻き込むことを避けるため、地元民の案内を受けて松山村付近の台地に陣を張り、追手を待ち受けた。
 午前11時頃、八日市場に到着した追討勢1,000人は福善寺に放火してこれを焼き払った後、松山で待ち構える市川勢に総攻撃を仕掛けた。市川勢は二時間余りにわたって激しく抗戦したが、朝比奈弥太郎・筧助太夫・富田理助ら26名が討死し、午後2時頃ついに市川勢は壊滅した。
 明治2年(1869)地元民によって戦場跡に「戦死二十五人墓」という合葬墓が築かれた。
 大正15年(1926)11月「水戸藩志士弔魂碑」が朝比奈知泉先生の撰文で建立され、碑の裏面には殉難者の姓名が刻まれている。この経緯を、朝比奈知泉が「水戸諸生党弔魂碑の開眼式」で語っている。
 昭和41年(1966)10月「脱走塚百年祭」が、地元および水戸市で行われ、百年祭記念碑が建立された。
水戸藩国事殉難者埋葬の地(脱走塚)
戦死二十五人墓
水戸藩志士弔魂碑
百年祭記念碑 
建碑場所 千葉県匝瑳市中台304
建碑年月日・建碑者 ①「戦死二十五人墓」 明治2年(1869) 地元の方々
②「水戸藩志士弔魂碑」 大正15年(1926)11月10日 地元の方々
       撰文 朝比奈知泉
       碑・裏面 水戸藩諸生党国事殉難者姓名を刻み記録す
    ③「百年祭記念碑」 昭和41年10月6日 脱走塚百年祭実行委員会
  慰霊式
   明治21年(1888年) 「戦死25人之墓」21回忌 墓前法要(地元主催)
  大正15年(1926年) 「水戸藩志士弔魂碑」の開眼式(地元主催及び朝比奈知泉他藩士子孫)
  昭和41年(1966年) 「脱走塚百年祭」(地元主催及び水戸市)
  平成20年(2008年)10月 水戸藩国事殉難者慰霊法要(恩光碑保存会主催第2回)
  平成28年(2016年)5月 水戸藩国事殉難者慰霊法要(恩光碑保存会主催第10回)
平成30年(2018年)9月 慰霊祭(水戸藩士殉難150年記念事業実行委員会 主宰)
史跡指定 匝瑳市指定文化財(記念物 史跡)昭和35年3月 (匝瑳市指定・登録文化財一覧表)
  関連資料・サイト 「水戸諸生党弔魂碑の開眼式」 『朝比奈知泉文集』 昭和2年(1927)
    聞書 松山戦争 語る人 - 大木緑氏 - (PDF)
碑文と読下し (前澤瑞穂 当会元副会長)
    松山戦争 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
    脱走塚百年祭記念「松山戦争集録」百年祭執行協賛会
    脱走塚 (千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば- (2014.9.17))
  脱走塚 (戊辰掃苔録)
    続く慰霊 (PDF)(匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪148~」 平成30年9月号)
    水戸藩士の墓 (PDF)(匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪139~」 平成29年12月号)
    慰霊法要 (PDF)(匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪122~」 平成28年7月号)
    松山戦争殉難者慰霊祭 (PDF)( 匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪 31~」 平成20年10月号)
    八日市場の戦い (PDF)(匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪 17~」 平成19年7月号)
    藩士の墓 (PDF)(匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪 9~」 平成18年11月号)
    匝瑳(脱走塚) (史跡訪問の日々 2010.1.9)
    Googleストリートビュー
※戦死した市川勢諸士を手厚く葬ってくださった地元の方々、現在も慰霊・法要を続けていただいている方々に、恩光碑保存会は改めて深い感謝の意を表します。