水戸藩国事殉難者埋葬の地
(脱走塚)
脱走塚全景脱走塚近景戦死二十五人墓慰霊碑匝瑳市解説板
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 明治元年(1868)10月4日夜、市川ら200人余は船で銚子港付近へ上陸した。この時、銚子の防衛にあたっていた高崎藩士の説得に応じた97人が降伏したが、市川ら113人は、10月6日午前10時頃、八日市場の福善寺に到着した。
 市川はここで一同に解散の意志を伝えたが、そのうち数十人は最期まで天狗党と戦う意志を示した。市川は八日市場の町を戦火に巻き込むことを避けるため、地元民の案内を受けて松山村付近の台地に陣を張り、追手を待ち受けた。
 午前11時頃、八日市場に到着した追討勢1,000人は福善寺に放火してこれを焼き払った後、松山で待ち構える市川勢に総攻撃を仕掛けた。市川勢は二時間余りにわたって激しく抗戦したが、朝比奈弥太郎・筧助太夫・富田理助ら26名が討死し、午後2時頃ついに市川勢は壊滅した。
 明治2年(1869)地元民によって戦場跡に「戦死二十五人墓」という合葬墓が築かれた。
 大正15年(1926)11月「水戸藩志士弔魂碑」が朝比奈知泉先生の撰文で建立され、碑の裏面には殉難者の姓名が刻まれている。
水戸藩国事殉難者埋葬の地(脱走塚)
戦死二十五人墓
水戸藩志士弔魂碑  
建碑場所 千葉県匝瑳市中台304
建碑年月日・建碑者 「戦死二十五人墓」 明治2年(1869) 地元の方々
「水戸藩志士弔魂碑」 大正15年(1926)11月10日 朝比奈知泉
撰文 朝比奈知泉
  碑・裏面 水戸藩諸生党国事殉難者姓名を刻み記録す
  慰霊式
   明治21年(1888年) 「戦死25人之墓」21回忌 墓前法要(地元主催)
  昭和43年(1968年) 「戦死25人之墓」00回忌 墓前法要(地元主催及び水戸市) 
  平成20年(2008年)10月 水戸藩国事殉難者慰霊法要(恩光碑保存会主催第2回)
  平成28年(2016年)5月 水戸藩国事殉難者慰霊法要(恩光碑保存会主催第10回)
平成30年(2018年)9月 慰霊祭(水戸藩士殉難150年記念事業実行委員会 主宰)
史跡指定 匝瑳市指定文化財(記念物 史跡)昭和35年3月 (匝瑳市指定・登録文化財一覧表)
  関連資料・サイト 「水戸諸生党弔魂碑の開眼式」 『朝比奈知泉文集』 昭和2年(1927)
    聞書 松山戦争 語る人 - 大木緑氏 - (PDF)
碑文と読下し (前澤瑞穂 当会元副会長)
    松山戦争 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
    脱走塚百年祭記念「松山戦争集録」百年祭執行協賛会
    脱走塚 (千葉県公式観光情報サイト-まるごとe! ちば- (2014.9.17))
  脱走塚 (戊辰掃苔録)
    続く慰霊 (PDF)(匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪148~」 平成30年9月号)
    水戸藩士の墓 (PDF)(匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪139~」 平成29年12月号)
    慰霊法要 (PDF)(匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪122~」 平成28年7月号)
    松山戦争殉難者慰霊祭 (PDF)( 匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪 31~」 平成20年10月号)
    八日市場の戦い (PDF)(匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪 17~」 平成19年7月号)
    藩士の墓 (PDF)(匝瑳市「広報そうさ ~匝瑳探訪 9~」 平成18年11月号)
    匝瑳(脱走塚) (史跡訪問の日々 2010.1.9)
    Googleストリートビュー
※戦死した市川勢諸士を手厚く葬ってくださった地元の方々、現在も慰霊・法要を続けていただいている方々に、恩光碑保存会は改めて深い感謝の意を表します。